Facebook と Mark Zuckerberg
- Hajime Higashiyama
- 8月9日
- 読了時間: 6分
今日は、あのフェイスブック(現メタ・プラットフォームズ)とその創業者であるマーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg) について、こんなこともあったのかという話を。
裏話という訳でもないが、Wikipediaなどでは出てこない話であるのも確かなので、楽しんで読んで欲しい。
では、年代を追ってみていこう。
1.少年時代のマーク・ザッカーバーグが作ったプログラムの幾つかは非常に役立つものだった。
彼の父親は歯科医であり、家の地下で歯科診療所を経営していたのだが、診療所に患者が来るたびに受付の者が「ザッカーバーグ先生、患者さんがお見えですよー!!」と家の中に向かって大きな声で叫ぶのが嫌いだった。
そこで、当時12才だったマーク・ザッカーバーグは、この問題を解決しようと決め、受付の事務室と家の中のそれぞれのコンピュータをつなぐメッセージのシステムを作った。
これによって、受付はもう父親に患者が来たことを叫んで伝えることもなくなった。
マーク・ザッカーバーグはこれをZuck Net と名付けたが、これは1996年にAOL(アメリカ・オンライン)がInstant Messenger というシステムを出す1年前のことである。
2.ハーバード大学へ進学したマーク・ザッカーバーグは、2003年11月、Facemash というシステムをたったの一晩(8時間)で作った。
これは、学内での一種の人気投票のようなもので、これがバカ受け状態に。
この話を知った、同じハーバード大学の、Cameron Winkelvoss と Tyler Winkelvoss (双子の兄弟)とDivya Narendra の3人は、プログラミングの知識がなかったため、マーク・ザッカーバーグに、難航していた自分たちのウェブサイトの構築を依頼する。
これは、ハーバード大学の学生向けに、デートやナイトライフについての情報を提供する、HarvardConnection というSNSサイトである。
順調に進んでいるかのように見えた、本サイトの構築であるが、マーク・ザッカーバーグがこのサイトの構築のための研究に忙しくなり、開発のペースが遅くなったという口実の下、マーク・ザッカーバーグはこのSNSサイトをヒントに(パクって!?)自分のウェブサイトの開発を進めるようになった。
これが、あのFacebook の起源である。
2004年2月、マーク・ザッカーバーグは、自ら開発したSNSサイトを、Thefacebook と名付け、ハーバード大学の学生向けにリリース。
これが大注目の的となり、ハーバード大学の学生新聞に取り上げられた。
ここでそのことを知ったWinkelvoss 兄弟とNarendra は大激怒。
自分たちのアイデアを盗用したとして、訴訟問題へ発展した。
ちなみに、この訴訟問題は、結局2008年の半ばに、Winkelvoss兄弟とNarendraへ $65,000,000 を支払って決着し、終結している。
3.フェイスブック(Thefacebook)の利用者が20万人にも達した時、フェイスブックは、PayPalの共同創業者であり、2002年に同社をeBayに売却して巨額の利益を得た投資家である、ピーター・ティール(Peter Thiel, 正確には自身が設立した、Clarium Capital)より、2004年に$500,000 の投資を受ける。
その際に、ピーター・ティールはフェイスブックの取締役にも就任した。
その際、マーク・ザッカーバーグが彼にアドバイスを求めたところ、その返事はなんと、「しくじるなよ。」の一言だった。 ・・・
4.その後、Thefacebookのユーザーは100万人を超え、更なる資金が必要となる。
そこで、彼らが投資の要請に訪れたのが、アップル、オラクル、ヤフー!などに投資してきた、セコイア・キャピタル(Sequoia Capital 1972年創業)である。
実際、同社はフェイスブックへの投資を希望していた。
ところが、当時20才そこそこのマーク・ザッカーバーグは、なんとTシャツとパジャマのズボンで現れ、しかも寝坊して遅刻。
そしてまた、話すことと言えば、事業展開の話ではなく、ひたすらとWirehog というテキストやビデオ・画像などをシェアするソフトウェアのことに終始し、殆ど自爆のように失敗。。
5.ピーター・ティールより初めて外部の投資家からの投資を受ける以前から、フェイスブックには、伝説のハッカーであり、16才の時にFBIに逮捕されたという前歴もあるSean Parker が参画していた。
Sean Parker は、1999年に楽曲ファイルをシェアリングするサービスするNapster いう会社を設立し、さらに2002年(22才の時)には、オンラインのアドレスブックやSNSのサイトを運営するPlaxo を立ち上げている。
そして、彼の発案によって、2005年、Thefacebookは、Facebook へと社名およびSNS名を変更する。
ところが、ある日、カリフォルニア北部のシーサイドでパーティーをしていたSean Parker は、近所の住民から騒音のクレームがあったため警察がやってきた際に、飲酒できない未成年であるFacebookの女子社員を連れていたことに加え、家の中からコカインが見つかってしまった。
この事件を受けて、既にFacebookに出資していたアクセル・パートナーズ(Accel Partners) は、Sean Parker の退任を主張。実は自らが設立したNapster や Plaxo から追い出されていた経歴のある、このParker兄ちゃんは、まさにこれからの大事なところでのツキがさっぱり無い奴らしく、結局、経営幹部として3社目である、ここFacebook でも自業自得とは言え、あえなく追い出される破目に。。。
6.2007年11月、Facebookは、Beacon というサービスを導入。
このBeaconは、例えば、ジョンはNetflix でパイレーツ・オブ・カリビアンを借りた、とか、リサはZappos でナイキのスニーカーを買った、などの情報をFacebook でシュアできるサービスで、マークはBeaconを誇らしげに思っていた。
ところが、反応はさっぱり。。
プライバシーの侵害だ、とか、これでは我々はどうやってサプライズ・プレゼントを買うのだ? などの不評が相次ぎ、結局2009年にはシャットダウンされた。
とは言え、少なくとも1年はこのサービスは存在していたことにはなるし、逆によく1年もったなと感じるところもあるにはあるが。。。
7.2008年3年、Sheryl Sandberg がFacebookに参画する。彼女は、2001年から、設立後わずか3年のgoogle で広告ビジネスを拡大させた立役者で、どうやってマネタイズ(収益化)するかを熟知していた。
実際、Facebookの広告ビジネスはSandbergの下で大きく収益化していくのだが、彼女の発言権が増大するに連れて、Facebookを去る幹部も多くなり、社内では、FOSS(Friend Of Sheryl Sandberg)でないと社内ではうだつが上がらない、とも噂された。
このあたりの事情は、やはり日本に限らず、世界共通のものか。。。
8.2012年にNASDAQへの株式上場を果たしたFacebookであるが、マーク・ザッカーバーグは、2013年1月から自身の報酬を年間で$1に下げる。
これは、1997年にスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)がアップルに復帰した際にやったことと同じである。
ここは、ぱっと見では美談にも感じるが、まぁ、真相は税務上のことでもあるのでしょう。マーク・ザッカーバーグ自身は、当時Facebookの創業者として30%程度の株式を保有する筆頭株主であり、自社株を大量に保有している資産家でもあるので、その株式を裏付けに多額の借入も可能なので。
ということで、フェイスブックの興味深い話をまとめてみたが、楽しんでもらえただろうか?
一見華やかに見えるフェイスブックの成功も、実はその舞台裏ではこんな事情がいろいろとあった訳だ。

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